東日本大震災から9年、あの日のこと、そして大きく進んだ防災対策

コロナウィルス感染拡大が心配されます。
新型コロナウィルスでお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げるとともにご家族にお悔やみ申し上げます。
また罹患されている方々、そしてご家族のみなさまへお見舞い申し上げます。

今日は3月11日、東日本大震災から9年…。

東日本大震災で失われた尊い命や被害に遭われた方々のことを思うと今も胸がしめつけられるように苦しくなります。
午後2時46分、黙とうをしました。

今日のブログではあの震災の時のこと、この9年間の渋谷区の防災の取組みを振り返ってみることにしました。

あの震災当時のことを教訓にこれまで様々な防災対策を提案してきました。
9年前の東日本大震災の時のブログを久しぶりに読み返してみると渋谷区の防災対策は東日本大震災以降、多くの取り組みが進みました。

震災のあった当時、渋谷区は今のようにSNSによる発信は行っておらず、携帯も通じず、電車は停車し、駅はシャッターがおりて入れず、コンビニの棚からはすぐに食べ物や飲み物が消え、道路は大渋滞、情報もあまりない中、歩いて家に向かう人たちの列が深夜まで続きました。

そんな中、私がやったことはTwitterを使った情報発信でした。
自転車で渋谷や恵比寿を移動すると様々なことが見えてきました。
少しでもできることを、と電車や地下鉄が止まってしまい、公共の交通手段が限られていた中で、ハチ公バスの運転時間の延長のお願いをしたり、恵比寿ガーデンプレイスさんにお願いしてガーデンプレイスの一階を移動中の方が休めるように開放していただいたり、電車や地下鉄の運行状況や避難所の情報などを逐一Twitterで発信していきました。
その当時避難所だった青山学院記念講堂、都立第一商業高校、都立広尾高校を見て回りました。

あの日のブログがこちらです。

今は渋谷区の情報発信は強化され、SNSで情報が伝わります。
災害時には渋谷区防災ポータルサイトから避難情報、交通情報、被害情報、気象情報が入手できます。
避難情報の中には多くの事業所のご協力により来街者のための帰宅困難者受入施設の指定も進みました。

また障がいのある方やご高齢者の二次避難所、ペットと一緒の避難所、また女性やお子さまが安心して過ごせる避難所なども議会や委員会で提案をし、少しずつですが進んできています。

そして渋谷区は「渋谷区民防災マニュアル」(B5版 90ページ)を作成し、この3月中に全戸配布予定です。

防災マニュアルについては数年前に「岡田マリ的渋谷区ガイド 危機管理対策編」を作成したときに、しっかりした区の防災マニュアル改訂版の必要性を感じたので提案してきました。

幅広く防災対策が紹介されています。防災マップは11地区にわかれています。

字も大きくて、最近老眼が進みだした私にも読みやすいです。

防災マニュアルはpdfでも見ることができます。

また防災ポータルアプリも公開されているのでぜひダウンロードをしてみてください。

防災対策はまだまだ取り組むべきことがあります。
これからも力をいれていきます。